2023-01-01から1年間の記事一覧

建築道(みち)25 ・・「地盤」「看板」「鞄」

俗に三バンと呼ばれる「地盤」「看板」「鞄」は政治家に必要とされる3要素だが、地方での建築家の独立も同じようなものが必要と言えよう。それはクライアントに選ばれないと仕事に繋がらないからだ。3要素の「地盤」は支持地域、「看板」は知名度、「鞄」は…

建築道(みち)24・・7年間の財産

引っ越し荷物の整理が終わり、長女は再び福島のカトリック系幼稚園に通い始める。次女はお絵描き等で姉の帰りを待ち、同じ住居一角にあるお父さんの事務所に日に何度も遊びに行く。今まで家にいなかった父親が家にいるので嬉しかった、もの珍しかったのかも…

建築道(みち)23 ・・バブちゃんの無鉄砲な挑戦

「40、50はな垂れ小僧。60、70は働き盛り・・・」と渋沢栄一が言うが、よく建築家も同じように言われる。そうすると彼の30才独立の戦いは「よちよちバブちゃん」が挑んだようなものと言える。孔子の「論語」を真に受け「三十にして立つ」ってしまったのだ。…

建築道(みち)22 ・・ベルリンの壁崩壊の年に

何人かの知り合いに独立の決意を話すが「無謀なのでやめた方が良い」という声はなく、心配を口にしたのは勤めていた会社関係者だけだった。特に親戚縁者は異口同音に「あーそう。頑張ってね!」。それは親戚縁者に建築関係者がいなかったこともあり、答えよ…

建築道(みち)21・・「ルルドの泉」のお守り

1年弱通った高台のカトリック系幼稚園が大好きだった長女。母の病で母の実家に行っていたので2か月間お休みしていた。その間に引っ越しが決まり、長女は昨年2か月だけ通園した福島の街中のカトリック系幼稚園に再び通う事になる。残念だったが家族で退園の報…

建築道(みち)20 ・・旅立ち前のプロジェクト

年が開け間もなく昭和が終わる。彼の初めての独り暮らしの2か月間は順調に進んだ。ただその間、酔って炬燵に寝て足に低温火傷を負うということはあったが・・。ツレも病院を退院し実家に戻り体力も回復してきた。子供たちは相変わらず元気だ。その間、彼は毎…

建築道(みち)19 ・・不器用な男 

「シマッタ!」彼は薄っぺらな封筒を手に後悔した。「辞職宣言はボーナス後にすべきだった」。それはそうだ。それまでいかに尽くしたとしても、会社を辞めることは反旗を掲げるに等しい。そんな社員に通常のボーナスを出すはずがない。それは極めて当たり前…

建築道(みち)18 ・・上司説得に寝る 

転勤後に住んだ家をgooglマップで探す。そこは30年以上前に彼ら一家が1年間暮らし、近所の人にとても良くしてもらった場所。その団地や当時彼が通っていた理容室は直ぐに見つけられたが、住んだ家は一向に見つからない。30年以上経過し住居表示も変わり、周…

建築道(みち)17 ・・シスター事件

入社6年が過ぎ長女がカトリック系幼稚園に入ったばかりの時、彼に本社設計部への転勤の話が来た。本社での仕事は主に住宅展示場モデルハウスの設計。それまで支店モデルハウス建築の際に何回か携わったので、なんとなく仕事内容は把握できた。住宅展示場では…

建築道(みち)16 ・・劉邦との出会い

福島に住み始めたころ、知人は大学時代の同級生3人くらいしかいなかった。しかも3人共卒業研究時の1年程度の付き合いで、それほど親しくはなかった。そのため「子供の頃こんなことをした!」などと言われることはなく、しがらみがなく自由な環境だった。しか…

建築道(みち)15・・東京研修と靴

住宅会社福島支店時代での建築修行はハードだった。彼は朝8時から21時位まで勤務し、遅い時は24時を超えた。ある時、彼が19時帰宅し、ツレから「会社を辞めてきたの?」と言われたことがあるほどだ。今でも「会社勤めの7年間は1人で子育てをした」と言われる…

建築道(みち)14 ・・家族が増えて

因縁ある街福島は果物王国。イチゴ・サクランボからリンゴまで、一年中新鮮な地元果物が食べれる。イチゴは果物でないとすれば年の3/4になるが・・。特に硬くて甘い桃や蜜の入ったリンゴはここでしか味わえず、二人は無類の果物好きですぐに虜になる。さらに…

建築道(みち)13・・建築士試験は過酷

彼が勤めた唯一の会社、全国展開住宅会社には感謝している。そこで社会人というものを知り、建築や法律を学び、資格を取ることが出来た。しかし「根っこのところが自分と違う」という違和感を7年間持ち続けた。配属支店は24人の先鋭のスタッフで年間100棟も…

建築道(みち)12・・急展開

就職活動時期、彼の悩みは「whereどこ?」と「what何?」だった。その後「what何?」は住まいの設計者の道と決めた。しかし「whereどこ?」は大雪で東京に行きたくなくなってしまった事件以来進展がない。それは会社決定時も同じだった。決められなかったの…

建築道(みち)11・・ガンジス川の沐浴修行者

大雪の中での卒業論文・設計発表会を終え、2つ上のサークル先輩と出席した日本武道館での卒業式が終わると、級友たちは1人また1人と全国に羽ばたいて行った。大学に副手として残った彼はそれを見送る。同級生を送るたびに4年間の出来事が脳裏をかすめた。 昨…

建築道(みち)10 ・・大雪の決断!

よくジョンレノンの亡くなった日の事が話題になる。同世代にとってジョンの死はそれくらい大きな出来事だった。しかし彼は覚えていない。ジョンが亡くなった初冬、彼に大変なことが次々起こった。それは準備不足のまま社会に出ることになり、この4年間堰き止…

建築道(みち)9・・進路の迷路

4学年は卒業研究だけでなく進路をどうするか?の大事な問題がある。「今をどう生きるかが大事」などと言っている彼はいたってのんびりしていた。それは友人Kくんの影響もあったかもしれない。3学年から就活が始まる今の大学生からすると信じがたい状況だ。し…

建築道(みち)8・・卒業研究

ボランティアサークルでの様々な活動、設計製図との戦い、苦悩の構造演習、実験レポートなど様々なレポートの山、春夏休みのバイト、合宿で北へ西へ南へのテント担いでのバックパッカー、秋の終りの文化祭、演劇部の助っ人出演etc.・・・彼はそんな生活がズ…

建築道(みち)7 ・・必須教科と選択教科

授業には必須と選択教科がある。必須教科は必ず単位を取らないと卒業できない。選択教科はその単位を取らなくても、別のいくつかの教科である程度単位を取れば卒業できる。彼は親が高齢という事もあり留年だけは避けねばならなかった。そこで1・2・3学年で出…

建築道(みち)6・・設計製図での退場!

設計製図は各学年受講の必修科目で1から4まである。設計製図1と2を同時に受講は出来ないシステムで、一つでも落とすと留年が確定する。そのため設計製図課題は手が抜けず、提出期限が近づくと学生間にある種の緊張感が漂った。他の授業の合間にも課題の考え…

建築道(みち)5・・設計製図とロッキー

入学当初、最初の設計製図課題「レタリング」は散々だった。レタリングは文字を美しく書く課題で、アルファベット、数字、ひらがな、カタカナ、漢字を図面一面に書くというもの。苦手な部分なので彼は慎重に課題を仕上げた。評定はABCDEの5段階でC丸だった。…

建築道(みち)4・・運転免許取得の試練

話はやや戻り大学1年夏休み、彼に試練が訪れた。 夜汽車格安周遊券を使い、1週間の予定で函館・札幌で合宿を行った。宿泊は1泊だけ民宿に泊まりそれ以外はテントと夜汽車だった。クタクタになり帰宅、中断していた5カ月前に仮免許を取った自動車学校に復帰し…

建築道(みち) 3 ・・ボランティアサークル

当時の彼はそれほど建築に特化してなかった。建築の他にもやるべきことがあるはず・・と考え、大学生活はサークル活動の占める割合は大きいと思っていた。入学当初の体育会と文化サークル説明会で気になるサークルが3つあった。美術部、演劇部も魅力的だった…

建築道 (みち)2・・はじまり

その大学は本部が東京の私立総合大学。工学部だけが福島にあり、他学部のほとんどが関東にある。そのためか、学生は全国から集まり大半は県外出身者、地元出身者は10%程度だった。西日本出身者の中にはここを関東と思って来たという学生もいた。 建築学科新…

建築道 (みち)1・・それまで

山村で穏やかな幼少期を過ごした。彼は野山を駆け巡り、魚釣りや木登り、セミやトンボやコウモリ取りなどをした。時には祭りで買った10羽のヒヨコがすべてオス鶏に育ち朝一斉に鳴きだしり、鳩が繁殖しすぎてお手上げになったり、道の草で罠を作り上級生に追…

建築道(みち) 0・・プロローグ

それは「もはや戦後ではない」と言われて20年が過ぎ、高度経済成長をへて安定成長期に移ったころ。ここは福島県阿武隈山系中部の村。散りばめられた小さな里山の合間に田畑を耕しぽつんぽつんと人家が建つ。夜になると辺りはすっかり闇に包まれ、空は満天の…

今年の味噌作りは田植え時期!

今年の味噌作りは遅いと感じた昨年より、さらに2週間遅れの田植え時期となった。もう後はなく、これ以上遅くなると夏の味噌仕込みになる。かといって、夏にできない分けでもない。気温が上がるので麹菌の増殖が速く、雑菌・カビが入りやすいとことから、味と…

しろかき時の味噌作り

設計業務の合間に3カ月に1度、建築雑誌に寄稿してます。毎回生みの苦しみの中で書いています。そのプレッシャーからと思うのですが、、気が付くとブログが久々の投稿になります。 2年ぶり投稿は「昨年の味噌作り報告」です。 2回目の味噌作りは、参加者都合…