建築道(みち)6・・設計製図での退場!

 設計製図は各学年受講の必修科目で1から4まである。設計製図1と2を同時に受講は出来ないシステムで、一つでも落とすと留年が確定する。そのため設計製図課題は手が抜けず、提出期限が近づくと学生間にある種の緊張感が漂った。他の授業の合間にも課題の考え方や、各自の進み具合などを話し合った。様々な情報を聞き、焦ったり、安心したり、設計変更をしたりした。そして提出1週間前には戦闘態勢に入り、重要要件以外はキャンセル、又は先延ばしにした。それは彼が建築家として独立後に様々な設計コンペに参加した時も同様だった。

 級友の建築研究会のKくんの設計製図課題への取り組み方には驚かされた。侍だと思った。ギリギリまで課題の図面を書かない。周りから見るともう間に合わないのでは…と思うが仕上げてくる。それはまるで帝国ホテルを手掛けた近代建築家巨匠フランク・ロイド・ライトの「落水荘」設計逸話のようだ。いつまでも計画案を出さないライトに、痺れを切らしたクライアント。「これから行く」と電話後にライトは計画図を描きだし、クライアント到着までに計画図を完成させたという逸話だ。それはKくんの姿と重なる。彼はKくんに設計課題の進み具合を聞き「自分より遅い級友がいる」と、安心したものだ。それでもKくんは設計課題締め切りに遅れたことはなく、動じないその姿勢と突破力は尊敬に値した。二人の課題評価はいつも似た様なものだった。

 当時建築界では安藤忠雄氏が「住吉の長屋」を発表し、建築の豊かさや機能性のあり方に一石を投じた。雨の時、部屋間の移動に傘をさす住宅構成の斬新さに、建築学生達の議論の的となった。そんな時、彼も思いもよらず設計製図の授業に一石を投じてしまった。

 事件は3学年時の課題説明講義時に起こった。毎回課題提出後に引き続き次回課題説明があり、受講学生を2組に分け150人程の学生の中で行われた。説明前に講義の出欠を取る。いつものように彼は3日徹夜で提出後に次の課題説明を受ける。もうろうとしていた彼はついウトウトと寝てしまった。ハッとして目を上げた瞬間、よりによって課題説明中の担当教授と目が合った。すると教授は「そこの君、退場!」と言い渡した。それまで教室から退場をさせられた学生など聞いたことがなく、彼は留年、設計製図3落第の危機を感じた。級友達を食堂で待ち、その後の講義内容と出欠を取り直したかを聞いた。出欠は取り直さず退場者の特定はされてないことを聞き、胸を撫で下ろした。しばらく級友は彼を「退場!くん」と呼んだものだ。担当教授の課題は評価が厳しいことで知られていたが、2か月後に提出した課題作品はそれまでより高い評価を受けることが出来た。彼は「一人背水の陣」を行い、その作戦の有効性を証明することも出来た。2年後、彼は建築学科教室の副手として大学に残ることになる。その際、学部内研究論文発表会において、退場!教授から鋭い指摘を受け壇上でタジタジとなった。まさか2年前の学生とは分からなかったと思うが、副手になってからも再び鍛えてもらった。その後大学を離れてからも、彼は退場!教授が亡くなるまで年賀状のやり取りをし、近況を伝え続けた。

コルビジェ サヴォア