建築道(みち) 0・・プロローグ

 それは「もはや戦後ではない」と言われて20年が過ぎ、高度経済成長をへて安定成長期に移ったころ。ここは福島県阿武隈山系中部の村。散りばめられた小さな里山の合間に田畑を耕しぽつんぽつんと人家が建つ。夜になると辺りはすっかり闇に包まれ、空は満天の星。その輝きは街灯の少なさを補うようだ。カエルの声がこだまし、梟が鳴き、時には晩鳥(ムササビ)が飛ぶ。そこで闇夜の静けさをかき消すような男たちの声。3人のおんつぁま(おじさん)達が山菜料理と酒を囲んでいた。

 「今日の代かぎはくたびっちゃ(くたびれた)。あさげ(朝)からばんげ(夜)まで、もーうこわくて(もう疲れて)くたくただ。・・・それにしてもこのワラビうめぇなぁ。おらー初物だなぁー」村のうるさ方のYが言う。「昨日のこじはん(おやつ)の時にめっけだ(見つけた)んだ」ここは元小学校教師で元庄屋のZの家。近くに住む祢宜(ねぎ・神主)さまのXが言う「そう言えば、T坊は車の免許はとったかい」「いま通ってとこだわ、金掛かんなー」。この春にZの息子T坊は町の大学に入学したばかりだ。「それにしても、この3人のわらしやづら(子供達)が建築士を目指すちゃ、なんの因縁かねー」とY。「みんな思うようになれれば良いよなー」とX。するとYが「おめげ(君の家)のばっち(末っ子)は字が汚いから苦労すっぞぉー」と、いきなし(いきなり)ジャブを放つ。すると懸命なXは不穏な空気を察知し、「明日早いんでそろそろおいとますっかねー」と柱時計を見る。時計の針は9時半をさす。Xは二人の酒が毎夜毎夜喧嘩で終わることを知っていて、そのとばっちりは避けたいのだ。Xのせな(跡取り)はT坊の1つ年上、同じ大学で一足早く建築を学んでいた。Yのせなは3歳年上、建築を高校で学びすでにゼネコンに勤めていた。

 「でも数学の成績良いぞい、絵もおもしぇ(面白い)んだ」「わーげ(我が家)のやろこ(息子)はもう金稼いでるけっじょ、字が汚い奴は図面も汚いってしゃべってた(言ってた)ぞ。T坊はちっと不器用だがんなー」「おめぇーいぎなし(いきなり)何くちゃっべってんだぁ!(言ってる!)書いた絵、見せでくれっかー」「おら(俺)は図面の事を言ってんだぁ」「おらのは芸術の話だ、にしゃ(お前)にはわがんねべー」「何くちゃっべってんだー、ちょこっと先生さぁやったからと威張ってんなーよー」「あばっちんでねーぞー(ふざけんなよ)、もうけいれ!(帰れ!)」「あーあそうすっぺー、けーっぺ(帰る)けーっぺ。もう顔も見だくねー」・・・こうして今宵も更けていく。しかし昨晩を忘れたように、次の夜も次の夜も同じような酒騒ぎは続いた。当時、娯楽の少ない山村のおんつぁま達の楽しみは集まって飲むしかなかったのだ。

還暦誕生日に訪れたロンシャンの礼拝堂・筆者憧れの建築