建築道(みち)12・・急展開

 就職活動時期、彼の悩みは「whereどこ?」と「what何?」だった。その後「what何?」は住まいの設計者の道と決めた。しかし「whereどこ?」は大雪で東京に行きたくなくなってしまった事件以来進展がない。それは会社決定時も同じだった。決められなかったので、会社選定において全国展開の会社とした。その問題は棚上げ状態で、それは独立まで続く。その時にどうして「whereどこ?」に東京を選ばなかったのかを考える事が時々ある。

 そして住宅会社の配属支店が決まる。それは4年前免許取得で思い出の県庁所在地だった。

 都市計画研究室の副手時代の卒業研究と卒業設計も無事終わり、昨年と同じく全国に飛び立つ卒研生を見送った。昨年と違うのは彼も大学を離れ、県庁所在地にパートナーと移住することくらいだ。そう、初冬から春にかけて急速に話が進み、結婚することになった。それは彼の高齢の親が、当時付き合っていた大きな器を貰い持つ女をいたく気に入ってしまった事にあった。自分の結婚でもあるまいし。50kmも離れた街に離れて住んで機会を逃してしまうのでは・・と考えたらしい。彼はこれからプロの設計者を志す身で家庭を持つのはまだ早いのでは・・と思う一方、住まいの設計者を目指すのだから、家族を持つのも悪くない!と思い覚悟を決めた。研究室同級生の中で一番早く結婚、同級生は再び驚かされることになる。こうして彼は初めての一人暮らしのタイミングを逃し、今に至るまで一人暮らしをしたことがない。よく考えてみると彼女も同じであり、お産で実家に帰ったことを考えると、むしろ彼の方が一人暮らしは多い(一人暮らしと言えるかどうかはあるが・・)。しかしこれまで5回しかご飯を炊いたことがなく、毎日3食作って頂く身では、その事を強調するのは適切ではなかろう。

 入社予定会社の配属決定時には独身寮に入る予定でいた。しかし初春に結婚してしまい、そのような訳には行かなくなった。ここでその経緯を書き辛い様に、入社予定会社にも言い辛かったが報告する。驚かれ、祝福して頂き、新居を探しておいてくれると言ってもらえた。彼女も当時勤めていた会社の県庁所在地支店に移動できることになり、順調に動き出した。その後紹介されたアパートを見にパートナーと出掛けた。しかし思うような物件ではなく、悪戦苦闘の末に郊外の田圃広がる場所を新居と決める。探している間に「この道を通り早朝に彼女を駅まで迎えに行った」ことを思い出す。それはボランティアサークルの集まりでの出来事。二人とも別サークルの代表をしていて、付き合う前のことである。その事や免許取得騒動といい、ここは因縁のある街だと思った。

 その後に懐かしい仲間に祝ってもらった長時間結婚式と、その後の駅で大騒ぎした新婚旅行出発、建築学科各研究室に感謝を伝えて大学との別れ、新居の福島への引っ越し、住宅会社入社式と新人研修と怒涛のように時は流れ、新たな街での新生活が始まった。

中国 敦煌 ゴビ砂漠