建築道(みち)10 ・・大雪の決断!

 よくジョンレノンの亡くなった日の事が話題になる。同世代にとってジョンの死はそれくらい大きな出来事だった。しかし彼は覚えていない。ジョンが亡くなった初冬、彼に大変なことが次々起こった。それは準備不足のまま社会に出ることになり、この4年間堰き止めていた事柄が容赦なく津波のように押し寄せてきたと言える。とても世界のニュースに気を留める余裕がなく、言わば井上陽水の「傘がない」の心境だった。その1つが就職活動だ。いろいろ悩んだ末、彼は東京の金属装飾デザイン会社を選ぶ。地元ではなく、設計や施工の会社でもない。それまでに2度出向き、会社訪問と入社試験を受けた。そして重役との面接が終われば内定がもらえるまでこぎ着けた。最終面接は12月25日クリスマスの日だった。 

 ところが前日クリスマスイブに100年に一度の大雪が降る。普段は30cmで大雪の地域に1mの積雪、周辺電車はストップした。しかもいつ電車が動き出すか分からない。とりあえず駅に向かい待合室で待機することにした。大雪の中にリクルート姿で出発、普段は25分のバス乗車が2時間かかり、やっとJR駅にたどり着いた。しかし電車は動く気配は全くない。映画を見て時間をつぶせば・・と思っていたが、駅前は電気もガスも信号機も喫茶店もストップ、映画どころではない。

 リクルートスーツはよれよれ、靴はぐしょぐしょで家に帰ることもできない。とても東京に向かうどころではない。その夜は駅の暗闇の待合室で復旧を待つ人々と夜通しの酒盛りとなった。結局その後3日ほど電車は動かなかった。当時新幹線はなく、普段は特急で東京まで3時間位(現在新幹線で1時間半)だった。それがこの大雪でとても遠く感じ、東京に行き就職するのが嫌になってしまった。その夜、非常灯の光がしんしんと積もった雪に映る駅前で、研究室に残る決断をした。それは単に東京の会社への就職をやめるだけでなく、設計者として生きる決意をも意味した。それはこれまで体の中で少しずつ増殖していた建築設計細胞が、大雪ショックで一気に噴き出したと言っても良いだろう。朝になり彼は友人のKくんのアパートに身を寄せた。2日後に電話が通じた。金属装飾デザイン会社に辞退連絡をし、担当教授に「研究室に副手として残る」決意を話し、そのことを大きな器を貰い持つ女に連絡した。 

 副手として残ると決まればそれはそれで大変である。それまで建築に魅力を感じれなかった者が、学生に建築の魅力を伝えなければならない立場になる。副手は学生に設計製図を指導しなくてはなない。こうして彼の建築尽くしの毎日が始まる。結果、教授が言ったように「建築に熱烈な恋」をしてしまった。1980年12月24日大雪は彼の人生を大きく変えることになった。更にその冬は2月にも大雪があった。その時も人生を左右する決断をするが、今もって誰にも話してないので書く勇気はまだない。自然災害は大きな決断を呼び起こす切っ掛けになるのかもしれない。

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