建築道(みち)9・・進路の迷路

 4学年は卒業研究だけでなく進路をどうするか?の大事な問題がある。「今をどう生きるかが大事」などと言っている彼はいたってのんびりしていた。それは友人Kくんの影響もあったかもしれない。3学年から就活が始まる今の大学生からすると信じがたい状況だ。しかし彼にとって就職は避けては通れない。家の事情から大学院という道は考えづらく、独り立ち・就職が必要だった。就職にあたり課題が2つある。それは「whereどこ?」と「what何?」だ。「where?」は地元に留まるか?東京にでるか?。「what?」は業種が建築かそれ以外か?。当時は建設業だった元首相のロッキード事件や公共建築の入札談合・汚職などが騒がれていた時期、彼の建築に対するイメージは少々かたよっていた。

 都市計画研究室の卒研生は夏休みも通い詰めていたが、前期試験が終了すぐの夏休みに2泊3日の岩手・秋田の旅を計画した。宿泊はテント、移動は車である。1日目に30年後に東日本大震災で大津波が襲った三陸海岸テント村に宿泊。誰かが「ファイアーストームをやろう!」などと言い始める。毎年行う学園祭フィナーレを飾るファイアーストーム。それは祭りの終わりに大きな焚火を囲み歌ったり踊ったりした思い出の一コマ。大学生活を終えようとする夏に相応しいと思ったのだろう。卒研生たちは周辺から枝を集めファイアーストームを始めた。ところが・・・そこは国立公園。周囲の枝を集めて焚火などトンデモナイ!事だった。キャンプ場管理人から大目玉を喰らった。「直ぐに出て行け!大学にも連絡しておく」と言う。リーダーの大学院生は顔面蒼白となり、彼は心の中で「卒業論文は終わったかも」と思った。

 とは言え、卒研生たちは既に飲酒もしており、夜中にテントをたたんで他へ移動も出来ない。大学院生と彼は管理人小屋に出向き、ひたすら平謝り、何とか明日朝まで宿泊を許して頂く。次の日何もなかったように一行は出発する。盛岡でわんこそばを食べ、秋田十和田湖キャンプ場に向かった。テントを組み立てていると、今度は別グループがファイアーストームを始めた。たしかここも国立公園のはず。昨晩凝りている都市計卒研生たちはさすがにその輪に加わらず、離れた場所で高く伸びる炎に各々の4年間を思った。旅が終わり、夏休みの研究分を終わらせ、研究室も夏季休暇となった。休暇直前に都市計画研究室担当教授と進路についての面談があり、彼はそこで「建築以外分野への就職希望」を伝えた。

 そんな夏も終わり卒研生が戻ってくると、口々に「就職内定」の話しを始める。彼は驚いた。当時、就職企業訪問は10月1日解禁だったからだ。後で知ったが、解禁日は表向き、現実にはそのズーと前にみんなも世の中も動いていた。彼は社会を知った。その間、彼は相変わらずwhere?とwhat?に悩み、絞り込めてなかった。ひとまず2・3企業の会社訪問をしてみた。そんな時に担当教授からこんな話があった。「真剣に勉強してないから建築の面白さが分からない。研究室の副手として勤め、研究室で学んではどうか」との誘い。聞けば普通の初任給より待遇も良かった。彼は新たな道の出現にさらに混乱した。

ロッコ 迷宮フェズ旧市内