建築道(みち)25 ・・「地盤」「看板」「鞄」

 俗に三バンと呼ばれる「地盤」「看板」「鞄」は政治家に必要とされる3要素だが、地方での建築家の独立も同じようなものが必要と言えよう。それはクライアントに選ばれないと仕事に繋がらないからだ。3要素の「地盤」は支持地域、「看板」は知名度、「鞄」は資金である。しかし彼はそのどれも不足していた。前に言った様に彼は生まれも育ちも別の地域、近隣ではあるが「地盤」という点では不安があった。しかし前会社での7年間により彼を応援する人が現われた。それは決して固い地盤とまでは言えなかったが、彼に「良い仕事が次の仕事を生む」という希望を与えるには十分だった。その後に彼は「福島市を選んだ男」と自己紹介した。

 次の要素「看板」もない。それまでの彼にあるのは一級建築士宅建合格、東北電力建築作品コンテスト入賞くらい。俗に「小石を投げると一級建築士にあたる」や、「建築士の資格は足の裏の米粒。取らないと気になるが、取っても食えない」などと言う。数ある一級建築士の中で設計者として選ばれる実力を付けなければならないと思った。「そのために何をすべきか」が彼の課題で、それは今でも続いている。その一つとして独立2年目に国土交通省のインテリアプランナーの資格を取得した。そして2年後には「インテリア高校教員免許」の取得を目指した。これらは前会社在職中、東京で2年間インテリアについて研修・研究の影響がある。中でも「インテリア高校教員免許」は当時、県内でその免許を持っている人はいなかった。その理由として福島県内の高校にはインテリア科がなかった事、さらに建築の高校教員免許があればインテリア科を教えることが出来た事からだ。しかし誰もいない、ただ1人と言うのがなんとも気持ちが良い。インテリア教員免許試験は一次試験を仙台で受験しパスした。そして二次試験が東京で行われた。東京試験会場では筆記試験の他、面接試験もあった。その面接時に試験管から「福島県ではインテリア科がないが、何故取得するのか?」の質問があったが、彼は「将来のため」と答えた。インテリア教員免許を設計者として選ばれるための資格武装とも考え、設計者としての「看板」を補おうとした。これまで2つの資格を直接的に使う事はなかったが、文部省から直接郵送された「インテリア高等学校教員資格認定試験合格証」と、県教育委員会からの「インテリアの高等学校一種免許状」を彼は今でも大切に保管している。 

 もちろん「鞄」もない。彼は江戸っ子気質で貯金はそれほどなく、退職金も雀の涙、独立資金は少しばかり保有していた株だった。それは日経平均株価が最高値を記録したバブル崩壊寸前の1989年。独立当初春に所有株の2/5を売却した。夏になるとその株が突然上がり出した。残りの株が春に売却時の2倍3倍4倍・・・となる。株の急上昇は仕事どころではなくなり、堪え切れず8倍になったところで売却した。ところが値上がりはまだ続いた。その後も9倍10倍と上昇する。彼は買い戻そうかとも思ったが「ローンを組んでまでしては」とすんでのところで思い止まり、断念した。結局その株は春の売却時より最高で15倍まで上がる。彼が購入時と比較すると充分値上がりして、それはそれで良しとすべきだった。しかし最高値15倍を見てしまった彼は「なんか損した」気分になる。そこであろうことか別の株をいくつか購入した。しかし時代はバブル崩壊期、次の年から20年以上日経平均株価は下がり続け、ついには最高値の1/5にまでなった。結果、バブル崩壊は子供たちのピアノと2・3度しか使ってない重すぎるブランド旅行鞄だけを残す。ローンを組むまでにならなかったのが救いだ。バブル崩壊は彼に「地道が一番、あぶく銭はなくなる」という教訓を与える事になる。

 

 陽は昇り 陽は沈み 陽は昇り 陽は沈み 日々は流れ過ぎる  

 Sunrise ,sunset. Sunrise, sunset. Swiftly flow the days.

中国 敦煌