建築道(みち)11・・ガンジス川の沐浴修行者

 大雪の中での卒業論文・設計発表会を終え、2つ上のサークル先輩と出席した日本武道館での卒業式が終わると、級友たちは1人また1人と全国に羽ばたいて行った。大学に副手として残った彼はそれを見送る。同級生を送るたびに4年間の出来事が脳裏をかすめた。

 昨年まで長髪でジーンズだった彼は、桜開花と共に髪を切りネクタイ姿になっていた。研究室に新しい卒研生が入ってくる。彼の仕事は卒研生指導、設計製図授業の準備・指導、農村環境改善施設計画研究etc.とあったが、空いた時間はすべて建築と向き合う事が出来た。

 副手は給料面でも建築を学べる点でもよかったが、毎年1年契約更新という不安定な立場でもあった。そこから講師の道を歩むには4年間の大学院ドクターコースをたどらなければならない。担当教授から大学院の誘いを受けたが、家の事情などを理由に辞退した。そんなことで研究室の副手では残ったが、相変わらず自分の進むべき道を模索していた。

 彼には建築設計を職業とするにあたり解決すべき問題があった。それはニュースで報じる談合・汚職などの建築スキャンダルについて、自分の中でどう折り合いを付けるかである。若者は濁った川でなく、清流で生きたかった。彼は大学4年間、ボランティアサークル活動で児童施設を訪問した。施設の子供たちはそこに住み、学び、遊び、生活していた。サークルメンバーは家族と離れて暮らす子供たちのストレスを、少しでも減らそうと様々な企画を行った。それは家族と一緒に成長する大切さを知っていればこそ、それを補うための活動だったとも言えよう。

 住宅建築それは建築の基本であり、原点だ。この4年間のサークル活動の経験と、その後の真剣に建築に向き合う経験が住宅の重要性を導き出し、自分の進むべき道を探し当てた。彼は笑顔溢れる家族のための「住まい造りがしたい!」と思うようになっていた。

 さっそく住宅設計中心アトリエ系設計事務所の所員募集を探す。しかし募集は少なく、有っても一般的な大卒初任給の2/3以下と条件が良くない。それは後に建築家として独立後に身に染みた事だが、卒業直ぐの所員を高給料で雇う余力が、残念ながら多くのアトリエ系事務所にはなかった。それも地方ではなおさらである。

 そこで設計施工の住宅会社設計者の道を選ぶ。それは企画住宅の会社でなく、様々な家族に寄り添える注文住宅の設計者を目指した。秋には会社を決め、彼は副手生活を1年で終わらせることにした。その副手期間はあたかも夜明け前にガンジス川で沐浴する修行者のように、設計者として旅立つ直前の特別な修行の場だった様に思う。世は第2次オイルショック真っ只中だった。

インドのバラナシ 夜明け前のガンジス川

ガンジス川の修行者