建築道(みち)28 ・・ベルリンの壁崩壊80日後のイタリーへ

 日本のバブル崩壊寸前1989年11月、欧州では突然に東西ドイツを遮断していたベルリンの壁が崩壊した。それは第2世界大戦後の東西冷戦の象徴。それにより欧州を分断していた鉄のカーテンがほころび、その後一気に消え去ることになる。壁崩壊直後に彼は前職場の友人からイタリア研修ツアーの誘いを受けた。それは建築設計者とインテリアデザイナーが対象の研修ツアーで、ミラノからローマの建築を巡る8日間の旅だった。それまで欧州に行く機会が一度もなかった彼は「少し無理をしてでも今の欧州を見るべきだ」と思った。くしくもツアー日程の1月終わりから2月にかけては福島での建築オフシーズンでもあり、迷わず申し込む。しかし独立1年目でまだ生業も定まらぬ時期。ツレは良い顔はしなかった。しかし「今の欧州を見たい!」「これは建築デザインのため」「事務所の未来のため」との大義を掲げ、粘り倒し何とか説得に成功した。直前に所有株を売却したタイミングも功をそうした。こうしてドイツのベルリンの壁崩壊直後に友人2人と30名くらいのツアーで欧州イタリーに飛び立つことが決まった。彼にとって新婚旅行、社内旅行に続き3度目の海外となる。

 現在の欧州への航空路はロシア上空を迂回しているように、当時もソ連上空を飛ぶことは出来ず、成田からアンカレッジ、ロンドン経由でミラノに向かった。途中、経由地の極寒アンカレッジではブロンド美女の売店でワインを味わい、トランジットのロンドンでは彼の英語がまったく通じずショックを受けた。そしてベルリンの壁崩壊80日後のイタリーに降り立った。そこではイタリア人は彼の英語を真剣に聞いてくれ、到着したミラノでは片言英語が通じ彼は一層上機嫌になった。

イタリア ミラノ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガッレリア

 夕方ホテルに着き、近くの有名アーケード(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世ガッレリア)を一人歩き。そこは何もかもが美しく洗練されて見えた。そこで小さな本屋に立ち寄る。内部はイタリア語の本が並んでいたが、彼は一角の盆栽本コーナーを見つけ釘付けになる。日本ではあまり見かけない、いや、あるのだが目に入らないのだろう。その時の彼は、ガラスのアーチと鉄製の屋根に覆われたアーケードと石造り建築の見事な壮大なハーモニーに押しつぶされそうになっていた。そんな中での盆栽コーナーは彼にとっては砂漠の中のオアシス、忘れかけた日本人のプライドを取り戻した気がした。盆栽コーナーの本がひときわ輝いて見えた。さらに気分が上がり彼はイタリア語建築雑誌等を数冊購入し本屋を後にした。そしてその数冊の建築関係本を持ちイタリアを1週間廻ることになり、本の購入はイタリアを離れる直前にすれば良かったと後悔することになる。彼はスーツケースでなく革製大型旅行バックだったので、それ自体が十分重かったのである。 

イタリア ミラノ~ベネチア 右が筆者