建築道 (みち)2・・はじまり

 その大学は本部が東京の私立総合大学。工学部だけが福島にあり、他学部のほとんどが関東にある。そのためか、学生は全国から集まり大半は県外出身者、地元出身者は10%程度だった。西日本出身者の中にはここを関東と思って来たという学生もいた。

 建築学科新入生は300人程で、そのうち女子は4%程だった。それでも学部内では建築学科が女子の割合が一番多く、他学科から羨ましがられた。学部全体の女子は1%くらいで、当時の工学部は男臭さがもんもんと漂っていた。彼は4年間、同級生女子と話したのは2人だけだった。もっとも同級生以外の女子とは普通に話してはいたが…。因みに25年後、彼の娘が同大学建築学科入学時の女子学生は10%くらいだったと言うから、その間の建築への女性進出が伺える。キャンパスは街中心から6km程の郊外にあり、元は軍隊の飛行場だった。敷地は広い平地で自然あふれる穏やか場所だが、若者たちにとっては少し環境が良すぎたかもしれない。

 そんなキャンパスで、「夢の坂道は 木の葉模様の石畳 まばゆい長い白い壁~・・・♪」と、俺たちの旅主題歌を口走りながら学食方向へ歩く男がいる。長髪でくたびれたシャツにジーンズ姿、ブックバンドで教科書を持ち運び、彼はすでに新入生には見えない。授業を自分で選び、服装の注意も受けず、登校時間はバラバラ、そんな自由を謳歌していた。各教科を別々の教室で受け、関西弁などの全国各地の言葉が飛び交い、哲学・心理学など今までとは違う学問を学ぶ、それらすべてが新鮮で彼には世界が一変したように思えたのだ。入学初年度は一般教養が主で、専門の建築の授業は30%程度だった。専門の建築を本格的に学ぶのは2年目以降になる。彼は学業に専念するため、大学に慣れるまで・・を理由に夏休みまで一時免許取得を中断した。2月末から通っていた自動車学校ではすでに仮免許を取っており、「仮免許有効期間が6カ月」だった。それほど大学生活という新しい環境に夢中で、世の中が急に輝き始めたように思えたのだ。しかしこのことが後に災いをもたらす事になる。

 授業が始まり、しばらくすると部活・サークル説明会があり、その後5日間の勧誘期間が始まる。上級生達は学食に続くキャンパス内大通りにサークルごとに陣取り、勧誘活動を行う。その間、新入生授業教室棟前に講義終了と共に上級生が集まり、さながらアイドルの出口待ちのようになる。新入生は休み時間ごとに上級生のアプローチを受け、新入生はびくびくしていたが、彼はなかなか勧誘を受けず物足りなさを感じた。その風貌から、単位を落とした上級生が新入生の授業を受けていると思われ敬遠されたようだ。しかし期間も終盤になると同級生と同じように勧誘を受ける様になり、少しホッとした。

「・・・あなたが今でも手をふるようだ~♪」中村雅俊かぶれの彼は有頂天になった。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン