建築道 (みち)1・・それまで

 山村で穏やかな幼少期を過ごした。彼は野山を駆け巡り、魚釣りや木登り、セミやトンボやコウモリ取りなどをした。時には祭りで買った10羽のヒヨコがすべてオス鶏に育ち朝一斉に鳴きだしり、鳩が繁殖しすぎてお手上げになったり、道の草で罠を作り上級生に追いかけられたり、帰りが遅くなり行方不明騒動を起こしたり…した。刺激は漫画本やドリフターズくらい。しかし世は高度経済成長とベトナム戦争による反戦の声が高まる激動の時代だった。

中学2年の時、いきなり進路の決断を迫られる。それは「高卒で国鉄に入るか、大学に行くか」だった。当時の国鉄(現JR)就職は推薦が必要で、彼が大学卒業時には親戚国鉄マンが退職し推薦がもらえなくなる。国鉄就職は高校卒業時しかチャンスがない・・と言うのだ。彼は直ぐに働くなどとは夢にも考えてなかった。さらに幼少期にTVで流れる反戦を叫ぶ学生達や、時折帰り親とバトルを重ねる大学生の姉、髪型も服装も自由な大学生の持つ自由さへの憧れがあった。彼はすぐに「大学」と答えた。8年後、深夜の国鉄K駅待合室で建築設計者を志すことになるとは、この時は思いも寄らなかった。

 大学進学には「自宅から通学」という条件があった。それは経済的な理由、年の離れた姉の学生時代の反抗、そして彼への信頼の問題があった。地元の大学は3校しかなかった。私立歯科大は学費が高くて無理。女子大学は当然無理、すると選択肢は私立総合大学工学部しかなかった。彼は計らずも工学を目指すことになる。当時の私立総合大学工学部は土木・建築・機械・電気・化学の5学科だったが、その中で彼は美術好きの理由で「建築」を選んだ。 

 大学までの間に彼に影響を与えたことがあった。それは姉の話す「大学時代は人生をじっくり考える時」と言う考え方。もう一つは中村雅俊主演TVドラマ「俺たちの旅」だ。そのドラマは不条理な社会慣習や人間関係に縛られることを嫌い、自由奔放、独立独歩の道を歩む若者を描いていた。彼は主人公カースケに深く浸透し、大学入学時には「建築を通し人間を学ぶ」などと嘯(うそぶ)くようになっていた。

2015年for座rest内 当事務所企画「あなたが家を建てるなら」