建築道(みち) 3 ・・ボランティアサークル

 当時の彼はそれほど建築に特化してなかった。建築の他にもやるべきことがあるはず・・と考え、大学生活はサークル活動の占める割合は大きいと思っていた。入学当初の体育会と文化サークル説明会で気になるサークルが3つあった。美術部、演劇部も魅力的だったが、ボランティアサークルを選んだ。中学時にビンタを取られた美術の女先生と「絵は描き続ける」の約束が頭をよぎったが、「まあ、いつでも出来るし」と思った。しかし以後何十年も絵筆を持つことはなかった。設計者となった彼は四六時中図面と格闘の毎日、休日に絵を描く気にはとてもならなかった。

 ボランティア活動はそれまで接したことがない。言わば草原で四葉のクローバーを見つけたごとき、大事なものを見つけた感覚があり、彼は未知の世界に踏み入れる大学生活にふさわしく思った。

 昼休みにキャンパス内大通りのサークル看板前に詳しい説明を聞きに行った。「あの~・・入会したいんですが‥」。彼は「詳しく話を聞きたいんですが‥」と話す予定がいきなり入会になってしまった。「えっー!、ありがとう!今年初めてだぁー」明るく元気な声の黒縁眼鏡が言う。「会長、入会してくれるって!」と小柄でやはり眼鏡をかけた人の方を向く。「ありがとう。今、会長やってます。よろしく」と少し小声で話す。黒縁眼鏡が「ここに学科と学年、学生番号と名前を書いて」と言う。そして手を振りながら「あー森さーん、入会してくれるって!」と、歩いてくる手作りのデニムのショルダーバックを持つ長髪が「やったー!これで安泰だ、何学科?」などと言う。どうもここ数年入会者が少なく、メンバーが先細りになっていたようだ。当時は2年が2人、3年が3人、4年生が5人、その他幽霊会員が4~5人いた。その後にクマのような2年生や、親分はだの3年生、外国籍という4年生など次々と先輩がやって来て、そのたびに紹介され歓迎を受けた。彼はその個性あふれた人々に圧倒され、なんだか兄貴が何人もできたような気がした。その年は彼を含め4人の新入生が入会した。

 そのボランティアサークルは近くの知的障害児施設訪問、他団体との交流、手作り冊子発行や学園祭展示などの広報活動と、少人数サークルとしては手に余るほどだった。特に4年生以上はサークル引退目前で忙しい時の手伝い、飲み会要員、困ったときの相談役の年寄り待遇。そのため通常活動を9人で行うのはかなり忙しい。しかも当時は部室が無く、比較的広いメンバーの部屋に集まり、ガリ版印刷などをした。そこは授業の合間なども集まり、砂漠のオアシス的たまり場になっていた。学生ボランティア活動は「何故児童施設に訪問するのか」、「偽善ではないか」などの問いとの闘いでもあった。特に飲み会ではいつも議論になり、メンバーは答えの出ない問いを自問自答していた。僕らの結論は「行きたいから行く」しかなかった。

 他団体共同開催イベントや他大学との交流、そして毎年夏休みにはテントを担ぎ夜汽車で移動する合宿と呼ばれる旅に出かけた。それは嵐で夜中の駅待合室に避難したり、朝市で購入の海の幸を砂浜でバーベキューしたり、他大学サークルとの意見交換も行ったりした。このサークル活動はいろいろな面で彼のその後の人生に影響を与えたが、中でも強烈なのは後にパートナーになる「大きな器を貰い持つ女」との出会いと言えるだろう。

コルビジェ サヴォア邸屋上庭園