その頃、建築設計を志して20年が過ぎていた。大学で建築を学び、卒業後に大学の副手として設計を教え、その後プロの設計者として社会の荒波にもまれ、独立開業しバブル崩壊の嵐の中に飛び込む。
そもそも設計者として出だしの大学での最初の設計課題「レタリング」評価で「君は現場に行った方が良い」と言われたことから始まる、決して建築家への道程は平たんではなく、険しい道だった。設計者にとって文字の汚さは致命的だ。思えば・・如何にしてそれをカバーするか暗中模索の日々だった。その結果、納得のいかないものは書き直し、クライアントには絶対なる自信の設計図提出を心がける。少しでもためらいのあるものは外には出さない。その繰り返しの20年で図面に設計者の意気込みや人間性を盛り込むことを目指した。
それは独立10年、「もしかしたら行けるかも・・」と思い始めた頃にCAD化の波が押し寄せて来た。(CADキャド・コンピュータを使い設計や製図を行うこと)
当時は長年の作図作業で右手中指に大きなペンダコがあった。それは設計図面と戦う設計者の誇りであり勲章だった。しかしCAD化により製図用ホルダーなどは使わなくなり、マウスで図面を書くようになる。そしてPCとの戦いを20年もすると、すっかり右手中指の勲章はなくなった。図面は誰が書いても同じく機械的なものになったが、今度はその中に如何にして個性を盛り込むかの新しい戦いが始まり、今度は右手親指の腱鞘炎に悩まされることになる。
1998年暮れからPCを使い始めたが、事務所をCAD化したのはその2年半後。ハードのシステムは整っていたがしばらくは手書図面を離せずにいた。しかしその間、建築業界はCADが急速に浸透し、CAD化直前には手書図面だと変人扱い。「さすが手書き図面に拘っているんですね~」などと皮肉交じりで言われた。
CAD化への足踏みには理由があった。すでにホームページを作り上げPC導入の成果を出していたし、学生時代からの図面を描きながら指で考える設計手法だった。さらに、その時期はいろいろな問題が洪水の様に押し寄せ、新しい事に取り組む心の余裕がなかった。そして手書にはハンデキャップを乗り越えてきたという愛着もある。しかし回りがCAD化している中、ただ一人手書きでいるのは難しい。構造・設備・施工図を一から書かなくてはならず現場に負担がかかることになってきた・・。そしてCAD化に踏ん切りがつけた最後の一矢は、CAD化により図面に画像・写真が容易に貼れることだった。手書きでは到底真似ができない。全面降伏して手書図面のキャリアを捨てCAD化に舵を切る。それは2001年春、秋に「米国同時多発テロ」が起き世界が一変した年だ。
その時、二人のCAD師匠がいた。一足先にCAD化した同業後輩のTくんとHくんだ。二人の師匠と説明本を頼りに1週間仕事を止めCAD化に挑んだ。それまで2年以上PCを使っていたのでそれほど難しくないと思っていたが、いざ始めると根本的なことが分からず仕事中のHくん事務所に押し掛けたり、夜中にTくんにSOS電話を掛けたりして悪戦苦闘、それでも何とかマスターすることが出来た。二人にはとてもお世話になり、この場を借りて改めてお礼を言いたい。
「迷惑かけて、ありがとう!」







