建築道(みち)14 ・・家族が増えて

 因縁ある街福島は果物王国。イチゴ・サクランボからリンゴまで、一年中新鮮な地元果物が食べれる。イチゴは果物でないとすれば年の3/4になるが・・。特に硬くて甘い桃や蜜の入ったリンゴはここでしか味わえず、二人は無類の果物好きですぐに虜になる。さらに温泉王国でもある。福島中心市街地から車で30分以内に温泉街が3か所あり、それ以外の温泉も多々ある。温泉の質も様々があり、二人は白濁の温泉を好んだ。休日は午前温泉に入り、帰りにそばを食べ、途中産地直売所で果物を購入した。当時は新年会や忘年会も温泉宿でやることが多かった。

 新居は福島市内北方面の名前にマンションが付く木造アパートの2階。そこに決めたのは、四季変化する田園が南側に続く環境と、パートナーの会社に近かったからだ。二人とも田舎生まれで田や里山の風景が好きだ。

 入居2年目、第1子がお腹に宿り、臨月近くになると彼女は実家に戻り出産に備えた。当時は生まれるまで男女が分からなかった。真夏の夕方、義母の電話で長女出産を知る。職場の現場工程が書かれたホワイトボードの前で聞いた光景を、彼は今でも昨日のように覚えている。急いで45km離れた病院に駆け付けた。小さなベットごとに何人か並ぶ赤ちゃんの中でひときわ輝く様に見えた。彼はその状況にちなんだ名前を付けようとしたが、義母から反対され考えを改め、自分の分身のような娘をイメージした名前を付けた。後日、長女は本当に性格が似てきてしまい、彼はどう扱えば良いか困ることになる。

 パートナーは出産を契機に会社を退職した。家族が増え部屋も手狭になり、しばらくして彼の会社近くのタウンハウス団地に引っ越すことにした。そこは建物が新しく、部屋が広く、1階で庭付き。団地中央にはテニスコートと広場があり、いつも子供たちの歓声がこだました。更に里山に隣接し抜群に環境が良かったが、スーパーは少し遠かった。近くに花見山という名所もあり、親族から「ズーとそこにいてはどうか」と言われたくらいだ。そこは子育て世帯がたくさんいて、団地内で協力して子育てが出来た。

 長女から3年後に次女が生まれた。夕方に出産間近の連絡が来て病院に行く。長女は総合病院だったが、次女は郊外の産婦人科専門医院。するとつわりの波が薄れ「今夜は生まれそうにない」と言われた、しぶしぶ彼は実家に宿泊した。ところが急変その夜に生まれ、2番目も出産に立ち会えなかった。姉妹の出産にいなかったことが、時折話題となる。次女に会ったのは次の日早朝。それは引き込まれそうな青い空の日だった。彼はそこから故郷の空をイメージした名前を付けた。次女は小学生になるまで自分の事を僕と呼び、小学生までは男の子とばかり遊んでいた活発な女の子だった。中学生になると一変、大人になった彼女を見て、幼少時を知る人はみな驚いた。こうして家族4人がそろった。

 転勤までの4年間の団地住まいは素晴らしい経験だった。その時のご近所さんとは一生の付き合いとなっている。その間、彼は団地内に住む2家族の住宅建築の設計に携わる。転勤引っ越しの時、彼ら家族を団地住人40人程がお祭り状態で見送ってくれた。しかし1年後、彼が会社を辞め家族は福島に戻って来る。もしかしたら、団地住人は「あの騒ぎは何だったんだろう」と思ったかもしれない。

中国 福建土楼