建築道(みち)7 ・・必須教科と選択教科

 授業には必須と選択教科がある。必須教科は必ず単位を取らないと卒業できない。選択教科はその単位を取らなくても、別のいくつかの教科である程度単位を取れば卒業できる。彼は親が高齢という事もあり留年だけは避けねばならなかった。そこで1・2・3学年で出来るだけ多くの単位を取る作戦をとり、3学年終了時は4学年必須教科以外の単位は足りていた。言わば広く浅く単位取得するスタイル。後で気付くのだが、学年成績順位は取得教科の平均点からつけるため、成績順位からするとそのスタイルは不利であった。順位を上げるには高得点が取れる選択教科を絞り、高得点が望めない場合は単位を捨てる位の覚悟が必要だった。しかし彼はそのような事は眼中になかった。そのため彼の取得単位数はトップクラスだったが、成績順位が決まる各教科平均点ではそうはいかなかった。

 理系大学は実験等各種レポート・構造演習・設計製図と課題が山ほどあり、彼らはそれらにも追われた。建築研究会のKくんは設計製図だけでなくレポート・演習課題においても、なかなか手を付けないという才能を発揮した。彼らは試験が近づくと過去数年間の問題を集め、テスト検討会を行ったが当たるも八卦当たらぬも八卦だった。そんな試験で事件が起きた。

 自動車部のRくんには皆が助けられた。1つ年上の真面目で温厚で頼りになる級友だ。Rくんは授業への取り組む姿勢が良く真面目だ。そのノートは授業内容が適切に記載され、試験近くになると級友から頼りにされた。それは2学年の構造力学1の試験前夜だった。そのテストの山と思われる難解な計算があり、それが理解できない級友6人が別々にRくんの部屋に集まる。6人はRくんから指導を受け何とか乗り切ることが出来た。しかしRくんは寝不足になり、悲劇的な試験結果となる。試験直後、夕日が矢のように背に刺さり倒れそうなRくんに、級友達はとても声を掛けれなかった。しかし次の年Rくんは構造力学1ばかりか、2も評価Aで通過した。構造力学は1・2共に必須教科だった。

 ライト風設計手法をとる建築研究会のKくんと、みんなから頼られる自動車部のRくんと、彼ら3人は4年間一緒に過ごしたようなものだ。共に建築計画系の授業を選び、卒業研究も同じ都市計画を選び同じ研究室に入った。3人とも無事卒業し、それぞれが設計者の道を歩んだ。東京での卒業式帰りにボッタくりバーに捕まった事はあったが、彼は研究室に残り、2人は東京にある別々の設計事務所に勤め、後に四国と関東の地元に戻り建築設計を貫いた。3人はその後も連絡を取り、普段は言えない仕事の不条理や愚痴を学生の頃のように言い合った。しかし構造力学1の話は禁句だ。機嫌が悪くなる。しかしそんなRくんも今はいない。

 

ガウディ グエル公園