建築道(みち)16 ・・劉邦との出会い

 福島に住み始めたころ、知人は大学時代の同級生3人くらいしかいなかった。しかも3人共卒業研究時の1年程度の付き合いで、それほど親しくはなかった。そのため「子供の頃こんなことをした!」などと言われることはなく、しがらみがなく自由な環境だった。しかし困った時に相談できる人がいないという側面もあった。しかし福島に来て就職、結婚、子育て生活の中で多くの人と出会い、相談に乗ってもらえ、助け助けられる人が出来た。福島は彼ら家族を温かく迎え、いろんな思い出をくれた。その中でもMさん一家にはとてもお世話になった。

 多くの場合、住宅会社の設計者は営業マンを通じて施主の意向を把握し、施主と直接会う機会は少ない。しかし彼は入社3年目に支店の監理建築士になり、主に特殊物件の設計に携わることになる。それは特別な住宅や共同住宅、店舗、旅館等で、施主さんと接する機会が増えていった。

 東京研修と同時期、彼はM邸新築プロジェクトに携わることになる。それは彼が20代後半の時、M氏は彼より10歳年上だった。M氏は市内ゼネコンの現場監督で設計もこなすスゴ技の技術士、いわゆる設計者泣かせの建築のプロだ。実は建築のプロが自宅を建てる時に、別建築家に頼むのはそれ程珍しい事ではない。人は自分のことが一番分からず、自宅建築となると邪念が入り客観的に判断が難しい事からだ。M氏はしがらみのない自由な家の建築を望み、3軒目の自宅建築を勤務ゼネコン施工でなく、他社に依頼した。住宅会社に建築のプロが自宅建築を依頼するのは珍しいプロジェクトだったと思う。後に、彼が建築家として独立してから、M邸増築計画の他にも4人の建築のプロから住宅設計の依頼を受けた。

 Mさん一家は二人娘の4人家族。住宅計画は南・西道路を持つ敷地に将来コの字型増築予定のL型プランを提案する。南玄関正面に中庭、左に和室、右にLDKその奥にサニタリーと2階個室が続く計画とした。将来増築計画は遠方に住む両親と同居に備えたものだ。父上は大工さんであり同居予定部屋は純和風の真壁作りの和室とした。将来同居の際は新たに客間を北側に増築しコの字型とする計画。建築においては当然M氏の拘りも、設計者の拘りもあり、二人の拘りがぶつかりながら計画が進んだ。その後実施設計、見積、契約、工事と進み住宅が無事完成した。しかしそれでは終わらなかった。

 同じ技術者とのこともあり、会った時からM氏と彼は妙に気が合った。完成後も付き合いは続き、だんだん家族ぐるみの付き合いになり、それは独立後も現在も続いている。10歳ほど年の差はあるM氏の二人娘と、彼の二人娘は4人姉妹のようにして育っていった。

 二人とも飲み会が好きだった。彼が独立後には多い時で週3回飲み歩いたこともある。いつも二人で飲み出すと3軒くらいハシゴとなり午前様になったが、M氏とだったらしょうがないという雰囲気が家族にあった。ある時は京都に建築二人旅に行き、ある時は両家族で1泊旅行をしたり、娘の結婚式でスピーチを頼んだり、彼の人生になくてはならない人になっていく。地元ゼネコンに勤めていたことから、建築関係者の知り合いが多く、みんなに慕われていた。彼は飲み歩く中で多くの建築関係者を紹介された。出会った当時M氏は途中入社のゼネコンで役職がなかったが、その後大出世することになる。彼は多くの建築関係者に好かれていたM氏を、酒で大成をなしたと言われる漢初代皇帝の劉邦のようだと思った。

劉邦の軍司、子房(張良)