学生時代2

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 ・・・前回からの続き・・・ 

 しかし理系大学はそんなに甘くない。実験レポート・構造演習・設計製図と課題が山ほど、提出時はいつも2日徹夜。知らないうちに、血となり肉になっていったように思います。

 一方ボランティア活動にも明け暮れました。施設訪問、他団体との交流、献血運動、ガリ版での機関誌作成、他地域の遠征、学園祭等々。そういえば演劇部の助っ人で舞台にも立ちました。

 そうこうしてる間に4回生。それはジョンレノンがなくなった年です。
就職を考えなければなりません。
 しかし卒業研究没頭の夏休み。
夏が過ぎると周りが次々と就職が決まってきます。あわてて僕は9月からの就職活動。
当時、談合・汚職に代表される建築の問題が目に付き、建築は僕の若い心には響きません。
そんな気持ちのまま、金属建築装飾の会社を選び、東京に出ることとしました。

 そんな時、担当教授に 建築に魅力を感じない ことを話すと、
「真剣に勉強してないから建築の面白さが分からない。副手として研究室に残って勉強しないか。給料もでる。」
という誘いがありました。
金属装飾会社の最終面接は12月25日。

 迷いが生まれました。

 前日のクリスマスイブ、東京に出発。
ところが100年に一度の大雪です。
普段は30cm程度でも大雪の郡山で、1mの積雪。
電車はストップ。
 しかしいつ電車が動き出すか分からない。
革靴で大雪の中バスにのり、普段は25分の乗車が2時間かかり、やっとのこと郡山駅にたどり着き、駅での待機。でも電車は動く気配はありません。
映画を見て時間をつぶせば・・と考えていましたが、それは甘かった。
駅前は電気もガスも信号機も喫茶店もストップ、映画どころじゃない。
 リクルートスーツはよれよれ、靴はぐしょぐしょ。その夜は駅の待合室で復旧を待つ人々と暗闇の中での酒盛りです。
結局3日ほど電車は動きませんでした。

 当時新幹線はなく特急で3時間位(現在新幹線で1時間半)だったと思いますが、東京がとても遠く感じ、行くのが嫌になりました。
その夜しんしんと雪の降る暗闇の駅前で、研究室に残ることを決意。

 副手は設計製図を教えなくてはなりません・・不真面目だった僕が。建築尽くしの毎日が始まりました。
結果、教授が言ったように 建築に恋を してしまいました。

 1980年12月24日大雪、人生が変わりました。

クリスマスが近づくと、このことが思い出されます。

そういえば、次の年のクリスマスイブはもっと大変なことになりました。

写真はロンシャンの教会です。