60年目のロンシャンの丘

 「なんでいまさらコルビジェ?」との友人からの声に見送られ、フランスの旅にでる。それは「還暦を迎える日にロンシャンの丘に立ちたい」と思ったからだ。


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設計を志してから進む道はいつも闇の中。30歳で地方建築家として独立、30年経つ今もそれは変わらない。

近代建築三大巨匠の1ル・コルビジェ、現代の設計者はみな多少なりとも影響を受けている。40代で「近代建築の五原則」を掲げサヴォア邸などの傑作を残す。50代で第二次世界大戦に遭遇、一転60代で新たな領域の傑作「ロンシャンの礼拝堂」を生む。かなりおこがましい話ではあるが、自身も50代に福島で東日本大震災に遭遇した。この旅はそんな巨匠の作品を糸口に「これから」を探しに来たとも言えよう。また自身が「現世界体制の根源がフランス革命にあり」と考える事も2度目のフランスへと誘った。

 夜間、初めてのパリに着く。あくる日早朝パリ郊外のサヴォア邸に向う。ホテルからメトロ、電車、バスと乗り継ぎ、サヴォア邸に着く。

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 その素晴らしさは言うまでもない。彼の近代建築五原則中の「自由なファサード」が体感できた。それは、ヨーロッパの街並みは美しい、これを逸脱するには度胸が必要だが、「そんな自由を持て」と言っていると思えた。一方彼はアプローチからのファサードが必ずしも一番美しい方向でなくて良いと考えていたようだ。サヴォア邸を満喫、想像以上の美しさのエッフェル塔を見て、ラ・ロッシュ邸に寄り、ヴェルサイユ宮殿の長い行列に並んだ。

 次の日、日の出前に出発。パリ・リヨン駅から高速鉄道TGV2時間15分でベルフォール駅へ、そこからタクシー45分でロンシャンの丘に着いた。今日は自身の誕生日。憧れの礼拝堂を前にすると、脳裏に様々な事が沸き上がる。不意に鐘が鳴り響く。そして麓の人々が集まる。内部の暗闇の石床へ壁に刻まれた様々な光が注ぎ、蝋燭の炎が揺らぐ。そこに讃美歌がながれ、御祈りが始まる。その厳かな雰囲気に撮影を戸惑うが、土曜日なのに何故だろうと思いつつシャッターを切る。ミサ終了の鐘がなる。タクシーとの待ち合わせの時間が迫ってきた。

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 その後2日間、芸術の都をさまよい歩く。その間パリの方々に大変親切にして頂いた事と、子供のスリ集団に遭遇した事も次に行かれる方の参考に記しておこう。

 空路マルセイユへ、そしてユニテ・ダビタシオンへと。ユニテは大戦後にRC造に企画化された住戸部品を組み込んだ復興共同住宅。竣工後64年の今も使われている。現在その一角がホテルになっている事を知り、コルビジェ作品への宿泊がここに来た理由だ。当初、見学後に街も巡る予定だったが、ユニテ見学で精魂つきはてた。にもかかわらず、興奮で夜はなかなか寝付けなかった。次の日、マルセイユからゴッホの愛し住んだアルルへと・・。

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 フランスは原発大国。線量計を持参し旅先で放射線量を測定した。羽田空港0.0250.032μSv,飛行機内0.2040.248μSv,シャルルドゴール空港0.0100.027μSv, パリホテル0.029μSv,ヴェルサイユ宮殿0.021μSv,TGV0.036μSv,マルセイユホテル0.052μSv,成田空港0.0660.072μSv,福島市の当事務所0.051μSv,前の道路0.095μSv。しかし旅中は測定を忘れる場面が多かった。

還暦は生まれ変わりの意味という。この経験を新たな領域に行くエネルギーとしたい。変わる事は大震災を福島で経験した建築家の宿命とも思っている。福島に戻ると、現代アート像サン・チャイルドの福島駅近くの子供施設への設置が問題になっていた。

パリ・オペラ座でのジャパンコール

50代最後の日、メトロで迷い地上に出れなくなった。出た時は20時、サマータイムもあり辺りはまだ明るい。日没は21時だ。そこはオペラ座の怪人の舞台、パリオペラ座。なのに、スタンド・バイ・ミーの歌が流れる。路上アーティストが正面広場で演奏していた。さまよい歩き、疲れきっていたので階段に座り一息ついた。演奏を聞きながら夕暮れの街並みを撮影していると、不意に「・・SUKIYAKI ・・!」と叫び、日本人を呼ぶ。唖然としてると、観客から「Japan!Japan!・・」とジャパンコールが沸き上がる。見渡せど日本人がいない。「Japan!Japan!・・」行かねばなるまい、これに答えねば。ここで逃げたら日本人の恥。激しい葛藤の中、覚悟しマイクの前に立つ。伴奏後に歌い出して気がついた、それまで「上を向いて歩こう」を歌った事がない。歌詞も良く分からない。サビは分かるが・・。カラオケで間違った曲をリクエストしたようになってしまった。メダルには程遠かったが、責任は果たした。日本人の面目を保てたか・・?は、難しいところだ。ヤザワやタクロウだと良かったんだが。5€のチップを置いて、夕陽を背中にホテルへ向かった。・・海外に行く時は練習が必要だ。

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SUKIYAKI
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オペラ座正面広場
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観客

We Are The World

昨晩、アナザーストーリーズ「We Are The World 奇跡の10時間」をみた。それからユーチューブを何回も見て聞いて泣いた。なんと愛と感動に満ち溢れているんだ!
https://www.youtube.com/watch?v=XblpaAyj234
https://www.youtube.com/watch?v=YYKzS08k1cE
あれから33年。「その間、何をしていた」と問われているようだ。
7/9深夜BSで再放送。もう一度見てみようか。...
ちなみにマイケル・ジャクソンとは同い年だ。
 

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So lets start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
Its true we'll make a better day
Just you and me
僕らは世界とひとつ、僕らは子供

僕らこそが 輝ける明日を作り出せるんだ
だから与えることを始めよう
僕らの選択が創りだす
それは自分たちの人生を救うことで
それこそが真に良い日々を作るんだ
君と僕からはじめよう


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計画から7年「羽風の家」の完成は昨年秋

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10年前その家族に出会い、2年後に住宅建築の相談を受けた。計画・設計・見積と順調に進んだ。しかし着工3日前にご主人の転勤が決まり、工事が延期された。さらに翌年震災・原発事故により無期延期となる。この間に家族が一人増え、ワンルームの子供室を2つに仕切る必要が生じた。
そのプロジェクトが昨年春に動き出し、秋に完成した。建築確認申請許可 平成22年10月、検査済証 平成29年10月。7年間の家族の出来事を取材し皆さんに伝えたい。

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伏竜の家

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この土地にはじめて会ったとき、交換したばかりの車を道路縁石に擦ってしまった事を思い出す。それは土地がとても魅力的だったと同時に、南東から北西への2mの高低差の難解さからだったろうか。あれから3年半がたった。菜の花が完成を祝っているように感じた。

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冬をまたいだ5つの現場 その5. 「果樹園の家」

 果樹園にバスケットボールのゴールポストが立つ。
 9年前お母さんの待つ福島に跡取りが帰ってきた。明るい音大出のお嫁さんと1歳の息子を連れて。息子が小学生になるとバスケットボールを始めたのだ。
しばらくして娘が生まれる。そしてお嫁さんが持つグランドピアノを置ける家の新築プロジェクトが動き出した。歩き出した娘の奏でるピアノの音が果樹園に響き渡る日も間近。亡きお父さんも心待ちにしてるはずだ。

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