「なんでいまさらコルビジェ?」との友人からの声に見送られ、フランスの旅にでる。それは「還暦を迎える日にロンシャンの丘に立ちたい」と思ったからだ。
設計を志してから進む道はいつも闇の中。30歳で地方建築家として独立、30年経つ今もそれは変わらない。
その素晴らしさは言うまでもない。彼の近代建築五原則中の「自由なファサード」が体感できた。それは、ヨーロッパの街並みは美しい、これを逸脱するには度胸が必要だが、「そんな自由を持て」と言っていると思えた。一方彼はアプローチからのファサードが必ずしも一番美しい方向でなくて良いと考えていたようだ。サヴォア邸を満喫、想像以上の美しさのエッフェル塔を見て、ラ・ロッシュ邸に寄り、ヴェルサイユ宮殿の長い行列に並んだ。
次の日、日の出前に出発。パリ・リヨン駅から高速鉄道TGV2時間15分でベルフォール駅へ、そこからタクシー45分でロンシャンの丘に着いた。今日は自身の誕生日。憧れの礼拝堂を前にすると、脳裏に様々な事が沸き上がる。不意に鐘が鳴り響く。そして麓の人々が集まる。内部の暗闇の石床へ壁に刻まれた様々な光が注ぎ、蝋燭の炎が揺らぐ。そこに讃美歌がながれ、御祈りが始まる。その厳かな雰囲気に撮影を戸惑うが、土曜日なのに何故だろうと思いつつシャッターを切る。ミサ終了の鐘がなる。タクシーとの待ち合わせの時間が迫ってきた。
その後2日間、芸術の都をさまよい歩く。その間パリの方々に大変親切にして頂いた事と、子供のスリ集団に遭遇した事も次に行かれる方の参考に記しておこう。
空路マルセイユへ、そしてユニテ・ダビタシオンへと。ユニテは大戦後にRC造に企画化された住戸部品を組み込んだ復興共同住宅。竣工後64年の今も使われている。現在その一角がホテルになっている事を知り、コルビジェ作品への宿泊がここに来た理由だ。当初、見学後に街も巡る予定だったが、ユニテ見学で精魂つきはてた。にもかかわらず、興奮で夜はなかなか寝付けなかった。次の日、マルセイユからゴッホの愛し住んだアルルへと・・。
フランスは原発大国。線量計を持参し旅先で放射線量を測定した。羽田空港0.025~0.032μSv,飛行機内0.204~0.248μSv,シャルルドゴール空港0.010~0.027μSv, パリホテル0.029μSv,ヴェルサイユ宮殿0.021μSv,TGV内0.036μSv,マルセイユホテル0.052μSv,成田空港0.066~0.072μSv,福島市の当事務所0.051μSv,前の道路0.095μSv。しかし旅中は測定を忘れる場面が多かった。
還暦は生まれ変わりの意味という。この経験を新たな領域に行くエネルギーとしたい。変わる事は大震災を福島で経験した建築家の宿命とも思っている。福島に戻ると、現代アート像サン・チャイルドの福島駅近くの子供施設への設置が問題になっていた。