自分の家で死ぬということ

 高齢者住宅は奥が深い。
来年には団塊の世代の人達が定年を向かえ、5年後には高齢者(65歳以上)人口がグッと増える。

 これまで3・4回、ケアマネージャーさん対象に介護住宅研修会なるものの講師をした。それは段差解消・手摺設置・広さの確保などの既存住宅改修ポイントの講義・演習というもの。しかしそんなことが真の問題ではないと思う。

 こんな問をうけた。
どう生きるということは、どう死ぬということでないか・・・と。
自分らしく死ぬ・・って、どういうことかと。

 戦後の高度成長の中、医療も飛躍的に向上、平均寿命は世界一。
その間、生老病死は住まいから切り離してしまった。

 65歳以上の半分は最期は自分の家でと思っているが、現実は自宅の12%に対し、85%の人が病院で亡くなっているそうです。
自宅にいたくてもいられない状況なのだ。
高度な医療対策ができなかったり、家族の介護負担に気を使ったり・・・。

 病院で何本もの管でつながれて死んでいくことは豊かだろうか。
自宅で近親者に囲まれて逝く方が良いのではないか。たとえそれが少し早まっても。
一度きりだから豊かな人生を送りたい。自分らしく生きたい。では、自分らしく死ぬとはどんなことなのだろう。

 死ぬため(生きるをまっとうする)の住宅、豊かな終の住まいなんて自分たちに設計できるのだろうか。

 後期高齢者医療問題はそんなことも含んでいるのだと思う。