A&D 遠藤設計のご挨拶

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拝啓

里山が紅く喜びに輝く頃。

皆さまにおかれましては、ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。

 さて平成元年に開設した遠藤知世吉・建築設計工房も30年を迎える事が出来ました。これまで皆さまに多くのご懇情を賜り、誠にありがとうございます。

 このたびデザイナー遠藤知里を迎え、新たに建築設計と共にプロダクト、グラフィック等のデザインを手がける、

総合デザイン事務所「ARCHITECT&DESIGNER 遠藤設計ad-endo.com

として生まれ変わることになりました。

豊かな変化を提案し「建築・デザインの追求」「地域の発展」「福島からの発信」のために努力する所存です。

 今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

敬具 

2019年11月吉日

ARCHITECT&DESIGNER 遠藤設計

代表 遠藤知世吉

 

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野武士建築家事務所が変わります!

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 平成元年に開設した遠藤知世吉・建築設計工房も30年を迎えることができました。これも皆さまのお力添いの賜で、深く感謝申し上げます。

 これを機に来る11月より

 総合デザイン事務所「ARCHITECT&DESIGNER 遠藤設計」

として生まれ変わる事になりました。

 これまでの建築設計に加えプロダクトデザイン、グラフィックデザイン等を手がけ、

デザインを通し笑顔を届けたく思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

https://www.ad-endo.com/

11の奇跡!

 娘が2人いますが、ここ数年たて続けに結婚しました。それまでは、娘が家に旦那候補を連れてきたら、気にいるいらないは別として、何が何でも「大反対!」しようと思っていました。本気度を試すためにも父親が壁になるべき・・と思ったからです。しかし、なかなか連れてきません。情報漏洩があったのかも、、とも思ったくらいです。

 しびれを切らす寸前で志を忘れそうになった時に、まず次女が連れてきました。きた、キタ、来たぁ!、待ちに待ったスチュエーションだぁ!。「時は今!」と思った瞬間、次女が秘策を出します。「彼は11日、生まれなんだ」と言う。「えっ!」。次女は策士でした。

 実は、僕も女房殿も11日生まれ。結婚式記念日も11日。おふくろの誕生日も11日です。そんな事で我が家では「11日」には妙な思い入れがあります。なので、つい、「それはなんかの縁だなぁー」などと言ってしまう自分がそこにいました。

 次の年、今度は長女が連れて来ました。「実は、彼の誕生日も11日!なの」。頭の中で稲妻が走り、ベルが鳴り響きました。「それは凄い!」などと、つい口走ってしまい、まったくお手上げ状態になってしまいました。自分にとっては2年連続の11日の敗北感を味わうことになってしまったのです。そんなこんなで我が家では、12か月のうち6カ月は何かの記念日となり11日は特別な日となっています。

 最近では次女が「私は※4月15日だから、15-4は11日、お姉ちゃんは※5月27日で(27-5)÷2は11日」と、こじつけ的な解釈も出てくるしまつです。そして、そんな我が家の11日の偶然を「11の奇跡!」と命名しました。

 

※印月日は仮月日です。

 

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追悼!遠藤ミチロウさん盆踊り

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この夏も福島市街中心で盆踊りが行われた。プロジェクトFUKUSIMA!主催で2011年から毎年開催されている。大風呂敷を敷いた空間に、大友良英スペシャルビッグバンド演奏のなんとも贅沢な盆踊りは「今の福島を、これからの福島を世界へ」を旗印に北海道、東京、愛知など各地に踊りの輪は広がっている。

 

今年で9回目の福島での盆踊り。会場の一角では「追悼!遠藤ミチロウ 特別写真展」も行われていた。プロジェクトFUKUSHIMA!発起人の遠藤ミチロウさんはこの4月に逝去されていた。

 

プロジェクトFUKUSHIMA!ホームページ上の「2011・3・11、それは戦争が始まった日です。・・・」から始まる彼のメッセージが胸に響く。

http://www.pj-fukushima.jp/message_michirou.html

 

彼は

「・・・非力さを認め共有するところから、わずかな一歩でも前に踏み出せたらと夢見るのです。"FUKUSHIMA"の現実と真っ正面から向き合い、その現場から新たな文化を発信することが出来たら、私達の未来は"FUKUSHIMA!"という希望の一里塚を打ち立てることになるのです。・・・」

と言う。そして「・・・それがぼくの故郷です。」で結んであった。

 

福島で住む身。ここからの新たな発信に少しでも協力できれば、かすかな世界の希望の灯りを燈す事になるかもしれないと、にぎやかに舞う盆踊りの輪に思った。


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ブログ引っ越し挨拶

はじめまして!

今日からこちらに引っ越してきました。

お世話になります。

不束者ですが、

皆さま、どうぞよろしくお願いします。

 

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「結婚する予定もないから、好きなように家建てちゃいました。」文化社より                    

 

東南角の二世帯の家

初めての同居のため家「東南角の二世帯の家」が完成した。お嫁さんを迎え、お父さんは近くに東・南道路の角の明るい土地を用意した。それまでの住まいはあまり陽あたりが良くなかったからだ。家族は、玄関以外はすべて1・2階に分けた、世帯間のプライバシーと独立性を重んじる家を望んだ。東南角の二世帯住宅は「スープの冷めない距離」「程よい距離間」を一軒の中で実現を目指した住まいとなった。

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